SPSD研究会

2ヶ月ぶりにSPSD研究会に参加しました。


認知症模擬演技研究です。
模擬演技と言っても、お芝居ではありません。


認知症の人の心を理解するために、
自分を通して演じてみることです。


場面を設定して、その状態の認知症状をを演じて見て
場面のなかの人からの働きかけによって、
自分のその時の気持ちをつかみ、認知症の人の心を
感じ取ること。


ありのままの自分が、そのまま認知症を捉えてそのまま演じるわけですから、気づかされることが多いです。


実際の場面ですが、忘れる と言うテーマで
ご飯を食べたのに、すぐにご飯を食べていない、と言われる方が多い事を取り上げ、自分が演じて見てわかったことがあります。


たとえば私の場合、家で模擬演技をしてみるのですが、相手をしてくれる夫に「ご飯食べてないのよ・・ご飯いつ食べるの?」と3,4回言うと夫が「さっき食べたよ・・もう食べたよ・・」と応えてくれる。それでもまた、「ご飯食べたい・・ご飯食べていない・・」と言い続けると、夫は「さっき食べたんだよ、」と強い口調になってくる。すると私は、黙ってしまったり、動きが止まってしまったりする。すると夫から「お腹がすいているのか」・と聞かれて「うん」と応えてしまう。


そうすると、おせんべいとか、何かちょっと口に入れるものを出してくれる・・・。だけどしばらくすると・・ご飯まだ?・・になる。
・・・同じ事の繰り返しが起きるのです。


その場面を、考えてみると
多分、認知症の私はご飯を食べていないことが不安なのだと思います。もっと言えば、ご飯を食べたかどうかわからないことが不安。なのではないか、と思いました。わからない、と言う不安が大きくなっている、と感じました。

ではどうして、お腹がすいているのか?と聞かれて「うん」と返事をしてしまったのか?確かに反動的にうん、とは言ったものの、出てきたおせんべいを食べたかったわけではありませんでした。


それは、演じるという中で素の自分が出てきてしまったからだと思いました。でもそこが今回は押さえどころだったと思いました。


介護する人は、ご飯を食べていないと言えば、直結してお腹がすいているのだろうと考えます。お腹が満たされていないから、ご飯はまだ、と言い続ける・・。それに対して今食べたでしょ、とか少し待ってね、とかじゃあこれを食べてみて、とかその言葉に対応しようとする・・。
時として、そのことを忘れさせようとしたり、気を紛らわせようとしたり・・。



演じてみて自分がわかったことは、
そこを混同してしまっている、事でした。ご飯を食べていないというのは、忘れるという症状であり
お腹がすいた、というのは感情の滲出なのだと言うことです。
それで、ご飯を食べていないという状態に対して、お腹がすいたのね、と言う受け取り方は少し違っている。
(もちろん本当にお腹がすいている事もあるとは思います・・)


そこにすれ違いが起きてしまう。
・・認知症の私はどうしてほしいと思っているのか??・
ご飯を食べたのかしら、まだなのかしら、どうだったかしら?
わからない・・・。教えてくれないかしら?

・・介護者としての私はどうしてあげたいと思っているのか??・
食べたばかりなんだから、いつまでもご飯にとらわれていないで、違うことに気が向いて楽しくすごせたらいいのになあ。


今回の演技をしていてお腹がすいたのかと聞かれて、うんと応えてしまった事で、素の自分の中にお腹がすいた=ご飯食べていないという公式が出来てしまっていた事に気がついたのです。ここですれ違いの芽が出てしまっていたと言うことがわかりました。



演技者としての私は、食べたかどうかわからなくなった不安からどこまでもご飯を食べていない、ごはんまだ?と言い続ける。介護者としての私は、それを聞いたときの感情から、食べたばかりなのにまた言っている・・困ったなあと思っている。(時には、うるさいなあなんて思いながら・・・)相手のことより自分の都合を考えている。


介護者として私が一番にしたいことは、その人に寄り添って不安を受け止めたいことなのです。おざなりな返事ではなく
、その場しのぎでのやり過ごし的な返事ではなく、本当に不安に思っている人に安心してもらえる言葉かけ、
本当はそうしたいのです。


模擬演技をしてみて、感情の噴出が早い自分の実態もかいま見ました。こんどのSPSDで気づきがあった事が次に繋がって、少しはゆとりの対応が出来るようになれればいいなあと思っています。
場面や状態をよく見て相手の方が受け取って欲しいものを、しっかりと受け取れるようになりたい、と思った研究会でした。